昔、母は「来世は一生独身でいたい」と言っていた。
どういう脈絡だったのかも覚えていないし、理由を聞くことができなかったが、その言葉は長い間しこりのように残っていた。

私はごく平凡な家庭に生まれ、何不自由なく、すごく甘やかされて育ってきた。
物心がつく前から破天荒だったと聞くし、中学生から成人するまでの間はずっと反抗期だったので、両親はかなり手を焼いていただろうと思う。
そんな来月25歳を迎える娘は、現在ニートをやっている。
家族からは今でも頻繁に「生活できているのか」というメッセージが届く。
アラサーになるにもかかわらず、いまだに両親を心配させている親不孝者である。
会社を退職してニートになった去年の夏、私は母と飲みに行った。
「何かやりたいこととか勉強したいことがあるなら、大学や専門学校にでも行ってみたら?」
私は自分の意思で大学へ進学しなかったのだが、いま興味があることを勉強してみるのはどうかと提案してくれた。
両親なりに、無職の娘の将来を心配しているようだ。
ありがたいと思いつつも、母には自分の人生を楽しんだらどうだと伝えた。
すると母は、「私が死んだ後に娘2人が苦労なく暮らしてくれれば、それが母の幸せだ。」と言った。
そしてこう続けた。
「今は結婚すれば安定なんて時代じゃないし、無理して結婚してほしいとも思わない。孫の顔が見たいとも思わない。娘には自分たちの好きなように人生を楽しんでほしい。
そのためにも一人でも生きていけるような職やスキルを身につけてほしい。」
貧しい家庭で育った母は、高校卒業後は専門学校に通い、バイトで学費を稼ぎながら看護師の資格を取った。そんな母からの言葉には重みがあった。
このとき、『来世は生涯独身でいたい』という母の言葉を思い出した。
昔この言葉を聞いたときに、母は本当はやりたいことがあったのではないか?「母親」になったことを後悔しているのではないか?と感じたのだ。
なので、母には残りの人生は好きなことをしてほしいと伝えた。
すると母は「自分のことも大事だけど、娘を応援することが私の生きがい。自分のことは来世に楽しむからいいの。」と言って笑った。
結婚して子どもを産んだことを後悔していないか?を聞くと、
「後悔しているわけがないじゃない。だって、子どもたちに会えたんだから。」と言っていた。
その言葉を聞いて、私は席を立った。
母からの愛情を感じて、自分の不甲斐なさが悔しくて、涙が止まらなくなった。

私の両親は9年間交際した末に結婚し、今年で結婚26年目になる。合計35年もの年月を共に過ごしていることになる。
昔の両親はお世辞にも仲がいいとは言えず、「何で毎日喧嘩までして一緒にいるのだろうか?」と疑問でしかなかったのだが、今では良きパートナーだなと感じる。
おはようございます!
私ほなみん、こんな両親の元に生まれました😘今日も可愛く図々しく生きましょう! pic.twitter.com/cC5GrNt2Qp
— ほなみん@愛され図々力 (@honamin_____) 2017年12月21日
母はたまに(特にお酒が入ったとき)ウキウキしながら父に近況報告のLINEをしているし、単身赴任の父の帰りを楽しみに待つ姿はまるで恋する乙女である。
心配性だけど誠実で家族思いな父はいつも母のことを気遣い、娘たちには頻繁に「母を大事にしろよ」という類のメッセージを送ってくる。
娘はそんな両親の姿を見て見ぬふりをしているが、実は2人の関係がステキだと感じているし、仲のいい両親の姿を見ることが嬉しかったりする。

両親は私が生まれたときから父親と母親だったが、元々は赤の他人同士だった。
当たり前だけど、元から夫婦だったわけではない。
価値観の違う他人同士が35年間以上ものあいだ人生を共に歩んでいるというのは、すごいことだ。
私は今までずっと「結婚=不自由」だと思っていて、いいイメージはなかったし、結婚願望もなければ結婚式への憧れもなかった。そもそも自分は結婚不適合者だから関係のない話だと思っていた。
けど、変わった。
結婚した経験もないのに結婚について語ったり、不適合者だと決めつけるのはナンセンスだと感じるようになった。
何より、両親の姿を見ていつか結婚や母親というものを経験してみたいと思うようになったのであった。
このブログを書き終えた現在、私は「結婚について語る前に、まずは自立できるように頑張れよ」と自分に言い聞かせている。
両親のために幸せに生きよう。そして両親にも、いつまでも健康に幸せに生きてほしいと願う。